真実の愛とは? 愛を探して世界中を旅した男の話。

 

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真実の愛ってどんな愛...??

みなさんは「愛」について考えたことがありますか?
この記事を読んでいるということは少なからず、「愛」について興味・関心があるのかもしれませんね。

 

ここで、一つこの記事を読んでいるあなたに謝らなければいけないことがあります。

題名に「愛を探して世界中を旅した男の話。」と書いてますよね。

 

実は.....

 

旅してません!!!!

 

 記事を読んで欲しかったのでインパクトのある題名にしたく、ちょっと嘘ついちゃいました。ごめんなさい。

 ただ、せっかく時間を割いてこの記事を読んでいる方のために、真実の愛についてしっかり書いていくので、ぜひ最後まで読んでみてください。

 

結論から書いておくと、

 

真実の愛とは

 

「所有者を愛すること」

 

です。

 

 

 

 


 体の所有者は誰?

真実の愛について書くといっているのに、なぜ急に「体」と「所有者」という単語が出てくるのでしょうか。

真実の愛を考えるためには、この「体」と「所有者」という2つの単語がキーになります。

 

私たち人間は、みんな体を持っています。

ここでいう体とは、顔・頭・手・足など私たち人間の形をつくっている部分すべてのコトを指します。

 

この体の所有者はいったい誰なのでしょうか?

 

もちろん、その体で生活している、その人 ですよね。

 

 

ここで、少し話を変えます。
有名な哲学者であるプラトンは、人間は「体」と「魂(心)」によって形成されていると唱えています。魂が生活するために、体という殻の中にはいっているのだと言っています。(多分、こんなニュアンスのことを言っています。)

 

この考え方だと、体の所有者は誰でしょうか?

 

 

 

 

答えは

 

 

 

 

 

 

その体で生活している、魂(心)ですね!

 

つまり、体とは、魂(心)の「所有物」なのです。 

 

 


 所有者を愛していますか?

若干宗教ちっくな話になってしまっていますが、この記事を書いている人は無宗教です笑

 

では、真実の愛について掘り下げていきます。

 

プラトン的な考え方だと、体は魂(心)の所有物で、魂(心)が所有者であることが分かります。ただ、魂っていう単語だと、幻想的すぎてイメージが湧きづらいので、魂を性格と置き換えます!

 

まとめると、体は性格の所有物であり、性格が所有者。ということですね。

(ここでいう性格とは、思考や嗜好など内面的なモノすべてを指します。)

 

 

もし、顔や身長など体的側面から人を愛してしまったらどうなるでしょうか?

体的側面から人を愛するということは、所有物を愛しているから、その所有物が失われたり古くなった時に愛が冷める可能性が高いです。

 

分かりやすく言うと、顔が理由で人のことを好きになっても、事故で顔に傷がついたり、歳をとってしわなどが増えると、好きっていう気持ちが冷めてしまう可能性が高いということです。

 

つまり、体的側面から人を愛することは、偽物の愛とまでは言わなくても、真実の愛ではないということが言えます。

 

 もし、人を内面的側面から愛したらどうでしょうか?

内面的側面から人を愛するということは、所有者自身を愛しているということであり、その所有者自身が変わらない限り、愛は冷めにくいのです。

 

言い換えると、性格が理由で人のことを好きになったら、その性格が変わらない限り、愛は冷めない可能性が高いということであり、本当の意味でその人のことを愛しているのです。

 

 

 

なので、私は、真実の愛とは所有者を愛する「内面的側面から人のことを愛すること」だと思います。

 

これから付き合う人や結婚相手を選ぶ時に、所有者を愛せているか、それとも所有物が好きなのかを考えると、真実の愛に出会いやすいかもしれないですね。

 

 

素人が記事を書いているので、突っ込みどころがあったり、何を言っているのか理解できない方もいるかもしれません。

 

そんな方は

ソクラテスの弁明

プラトンの愛の哲学

あたりの本を読むと理解が深まると思います。

 

 

 

ということで、私も真実の愛を探して、顔が可愛い女の子を街中で探したいと思います!!!(おいっっっっっ!!!)