なぜ、用心棒(本郷)に私がこだわるか 〜序〜

 

初めて食べたとき、それは最高に鮮烈だった一方で極めて日常的な出来事で最初はほんの出来心だった。

 

大学に入るまで海外にいたので日本に住むのは初めてだった。ましてや実家は京都の奥地。東京など知るはずもなければ日本にいなかったので「地元」などあるはずがない。

 

一方で日本人学校には通っていたし、日系コミュニティは海外に腐る程あるので日本語、日本食、空気の読み方などは多少理解もあり適応も問題はない、きっと日本での生活でもうまくいく。知り合いも家族もいない環境で生き抜くことが怖く、寂しかったが、そう思ってた一方でそのような生い立ちや元々の性格からくる妙なプライドの高さから大学に入り、そのまま周囲に迎合するのも嫌だった。


インターネットとSNSのおかげでいくらでも自分で何か価値あるものを作り、発信し、社会に提供することが昨今当たり前になりつつあり、よく世間では何かをしたいだけで実際に何もやらない人をネットで発信するだけの人を意識高い系と揶揄したりもする。


私はアプリやウェブサイトなどの確固たるプログラミングを用いたソフトウェア開発技術の知識を身につけて価値あるものを考えて作って提供してみたかったし、意識高い系と揶揄されたくなかったので(世の中にはプログラミングという単語を口にしただけで「ワァー!意識高い系だァァ!」と喚き立てる人も多いが)大学の全く見知らぬ先輩エンジニアの方に声をかけ、プログラミングを教えて欲しいと弟子入り志願した。

意識高い系だのなんだのと罵倒してくる連中を見返すこと、自分の書いたソースコードで周りをひっくり返したいという実にくだらない野心を抱きながら毎日勉強しながら開発に励んでいたのだが、同時にどうしようもない焦燥感と辛さが毎日あり、日々悶々としながらも活動を大一の頃から取り組み続けた。活動を続けていく中で活動仲間は増えたし、友達もできたが、(彼女はついに大学生活でできなかった)、どうもその欠如した何かがあるらしく、正直大学生活でなにをしてても満たされることはなかった。

 

そんな中活動に関わっていた友達に週3で通ってる面白いラーメン屋があると言われ、連れて行かれた。

 


用心棒II階である。



最初の印象としては最悪だった。
まず量が意味わかんない。マヨネーズ多すぎるし味濃すぎるし途中でもう吐きそうになる。マジでこれ食ってるやつ頭イかれてるって思ったレベルだった。

 

↓(こちらはまぜそば

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周りでこれを食べてる人の目つきは生気のかけらもない。この友達は一体なんでこんなものを週3で食えるのか正直理解の範疇を超えていた。

しかし世間では(某有名私立大学内では)これを食べたらネタとしてよく使えるので普通に満足だった。が、正直二回目は遠慮したかったのが本音だった。これが初めて用心棒のラーメンと出会ったときだった。

 

一方で開発作業は順調に進み、サイトもリリース。ユーザも増え、毎日新しい知識や技術を知ることができて充実した毎日を送っていた。しかしやはり何か欠如していたものがあり、日々を過ごしている中でそれを補える何かを探していた。

 

また、その友達が相変わらず用心棒II階が好きなこと、高校から一緒に大学に上がってきた別の友人たちも用心棒II階にハマっていたことから気づけば週3、4ペースで私も用心棒II階に通っていた。


完全な用心棒ヘビーユーザに成り果てた私は、食べる際に最初に抱いた辛さが「慣れ」へと変わり、限界を突破した食事、もはや食事=苦行と化していることに快感を覚え始めた。その頃ようやく言葉で言い表せない安らぎを日本での最初の一年間の生活に感じ始めた。

 

そんな生活を続けていたらその年のクリスマスイブがやってきた。

 

特に用事もなかった私は迷うことなく西武新宿線高田馬場に向かった。

高田馬場駅から用心棒II階へ向かうにはバスか徒歩が選択肢としてある。

私はいつも徒歩を選択した。お腹を空かせるためである。適度な空腹こそあの巨大な量に立ち向かい、胃袋の限界をギリギリ超えたという満足度を作り出せるからである。

 

周りでいちゃつくカップルを横目に大事MANブラザーズバンドの「それが大事」を聴きながら用心棒へと足を早めた

www.youtube.com

 

 

迷うことなく「まぜそば」を選択。全マシにしてガリマヨ、辛アゲをつけた。

衝動的に箸を進め、積まれたもやしを崩し、麺をほじくり出し、一気に胃に流し込んだ。

 

最高である。

 

ここからはどれだけペースを上げられるかが後半の自分を楽にする。もはや横の客に麺をすすった際に飛び散る汁がかかろうがそんなことに構ってる暇はない。

 

食して食して食しまくった。

 

スープが見え、残った少量のもやしや麺が漂ってるときにひとときの安堵が訪れる。このときに訪れる安堵こそが用心棒を食べたときの快感である。

 

人間はなぜ他の動物と異なる道を歩んだのか。なぜ人間は自我をもち、他者とわかりあい、セックスや食事を生きるための行為ではなく独自の快楽として昇華させることができたのだろうか。

 

この完全にイってしまってるとき私はいつもこういうことに考えを巡らせ、自我を解き放っている。きっと実際に◯ってしまったときよりもひどい顔をしているのではないかという自負さえある。


それが終わればあとは残った少量のもやしと麺の処理のため静かに箸を進める。前半でペースを上げまくればあとは余韻に浸れる。用心棒と出会ったときからなんども足を運んだ思い出、今日用心棒を食べる前に抱いた抑えきれなかった衝動と興奮、感動を思い出して別れを惜しむ。

 

使ったティッシュを捨てて机を拭き、ごちそうさまですと言って店を後にする。


そのとき、コードを書いていて、大学生活を送っていて、日本で生活していて、私が本当に欲しかったものに気づいたのである。

 

それは紛うことなく、心の拠り所であった。

 

実家に帰ったときに大きな両手で出迎えてくれる親の抱擁の際に抱く安堵とそれは似ていた。きっと私は友達でも恋人でも名誉名声でもなく、家に帰ったらおかえりと家族に言われる安堵と心の拠り所が欲しかったのだ。

 

用心棒II階は慣れない土地での1人暮らしで寂しかった私の心の拠り所になっていてくれていたのだ。

 

それはクリスマスイブも相まったせいか心の底から実感できるものだった。1人で過ごしていてこんなに晴れ晴れとした気持ちになれたクリスマスイブは初めてだった。

 

きっとこれからも私は用心棒II階と大学生活を、日本での生活を送っていくのだろうと思った。人にどんどん紹介して、この家族の温かみに匹敵する用心棒II階の素晴らさをひろげていきたい。



そんな気持ちになって私の2015年のクリスマスイブは終わった。